書けなかった日記
2004年5月29日

ご冥福をお祈りします。

書く事ができなかったこの日の日記。
お盆を過ぎた8月某日に書きました。
5月29日は私にとってきっと忘れられない日となることでしょう。

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私の友人(享年34歳)と、私のダンナ様の飼い猫の命日です。
どちらも私にとってはかけがえのない存在でした。
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その知らせが入ってきたのは5月30日の夜の事。
「明日、○○ちゃんのお通夜なんだけど。」
そんな言葉で始まった電話に、私は言葉もありませんでした。
実際はもっと違った言葉だったのかもしれません。しかし、その瞬間、
私の中に衝撃が走り鳥肌が立ちました。あまりのショックに
その前後のはっきりとした会話は、正直言って覚えていません。

私の友人のあまりにも早すぎる死。そんなに悩んでいたなんて、
知る由もありませんでした。お通夜は彼女の部屋で行われていました。
彼女の部屋に入った瞬間、こみ上げる何かが私を襲いました。あまりにも
彼女が生きていた証がそこには生々しくあり、まるでそこに笑って座って
いるようでした。
でも、現実には、すごく小さくなってしまった彼女と、その亡骸(なきがら)に
寄り添っていらっしゃるご家族がいるだけでした。そして自分を叱咤激励する
張り紙と薬の山。「彼女が生きていた証」は、「彼女が苦しみぬいた証」だった
のかも知れません。特にこの十数年、どんなに辛かったのでしょうか。

彼女の死を受け止められない私は、お通夜の席ではあまり涙は出ませんでした。
ただ、ただ、動揺するだけでした。
「また会えるよね、うそだよね、これは何かの間違いで、明日になったら
きっと笑顔の彼女と会えるよね。」
そんな思いでいっぱいでした。
しかし、やはりこれは現実で、翌日、告別式でいやというほど、その現実を
叩きつけられました。この告別式が終わったら、彼女は火葬されてしまう。
それは、いやでも永遠の別れを意味していました。出棺の時、涙が止まらず、
立っているのがやっとでした。
しかしながら、あくまでも私たちは肉親ではありません。肉親ではない我々
友人たちがこんなにも胸を掻き毟られる思いなのですから、ご家族の痛み・苦しみは
私たちには想像もつかないほどのものだと思います。そう思うと、またご家族の
気丈にされている様子を見ていると、本当に胸が張り裂ける思いです。
 
「あの子はすごく悩み苦しんでいた。私たち残された物は悲しく残念に思うけど、
あの子にとっては、これでよかったのかも。だって、もう、苦しまなくていいんだから。
でも、やっぱり辛い。あなたたちは、あの子の分も一生懸命生きてください。」 

最後にお母様がおっしゃった言葉です。きっと、これからこの言葉を胸に、
私たちは生きていくことでしょう。いえ、生きていかなければならないのです。
どんなに辛い事があっても、消し去ってはいけない記憶なのです。

私の友人と、私の彼氏の飼い猫。人間と猫を一緒にしては、と、お叱りを受けるかも
知れませんが、私にとってはとても重要なかけがえのない存在です。

ダンナ様の飼い猫については多くは語れませんが、私の中ではすごく重要な位置を
占めています。彼女(猫)はもう高齢で、病に冒されながらも懸命に生きていました。
私が日本に帰国する時、本当はすごく悪かったようです。ただ、私も「もう長くない」
ということは知っていたので、もう二度と会うことはできないのだろうな、と思い、
非常に悲しく思いました。余命幾許もない猫。そして今度いつ渡米できるか分からない
私。絶対会えないと、覚悟は決めていましたが、やっぱり辛いです。

いつかは来る永遠の別れ。頭では解っていても、心はついていけません。。。。

そして、運命を感じます。どうして同じ日なのでしょうか?
涙が本当に止まりません。
あなたたちはどうして、愛する家族を残して逝ってしまったの?
でも、辛かったんだね、きっと。もう苦しまなくていいんだよ。
ゆっくり、本当に安らかに休んでね。。。。
あなたたちは、私の永遠の最高の親友です。
永遠に忘れません。ありがとう。
記憶にとどめたくて今日ここに書きました。